食事を、共にするということ。

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お見合いでは、ティールームでお茶を飲みながらお話ししていただくのですね。

何もないところで、テーブルに着いて会話、となると「面接」になってしまう怖れがあるので、ティールームでティーなどいただきながら、和やかにお話し、ということですね。

お付き合いが続いていくと、お食事に出掛けていくことになるかもしれません。

お食事とは、生きるために要する養分を得る行いであるので、ヨガの行者のような人々は別として、お食事しない方はいないわけなのですが、

それだけに、古今東西ありとあらゆる工夫や仕来りや習慣や好みや豪奢が散りばめられるのですね。あなた様ご自身、そして、お相手のお人柄が、如実に現れてくるのも、お食事のシーンでは格別だと思います。

日本では、気軽にお食事にお誘いしたり、お誘いに乗ったりするのが、男女間でも同性同士であっても特別なこととは捉えないことが多いようです。

でも、私が考えるには、食事を共にするというのは大分大きな出来事と捉えるべきことだと思うのです。

お仕事仲間でも、一緒にお昼、また、夜に会食を催したりなど、親睦を深めることに一役買っていると思いますし、

仲間意識や、家族のような関係、深い繋がりを共有するために食事をすることがありますね。

一緒に食べる、ということが、

連帯意識を作るのでしょうか?

食べる、という動作は、一つには実の姿をさらけだす動作かもしれません。

自らの存在のための養分を吸収する動作なのですから、もしかしたら、存在すべてで行なっている動作なのかもしれませんね。

お相手と、お食事をいただく機会がやってきたら、お相手の召し上がる様子を観察することも大事なことはもちろんですが、

ご自身がどの様に感じどの様に反応しているか、

自己観察してみてくださいね。

快い食事になっていますか?

美味しく楽しいお席でしょうか?